top of page

殺陣と立回り2

<振り付けと行為、情報空間と物理空間>


「殺陣と立回り」、そのパート2をお届けします。

おそらくこのエントリーを読んでいる方は、殺陣と立回りはどう違うのか?という疑問から、この記事にたどり着いたのではないでしょうか。

結論から言ってしまえば、私の知っている限り、現場での使用においては問題とするほどのことはなく、実際には混在していました。さらには現場ごとに、どちらを主流として使っているかという程度の違いであって、明確な線引きのようなものは、なかったように思います。しかし、現場を経験している者ならば、どちらを使われても文脈上何を意味するかは理解できるはずです。そのように曖昧でありながら、意味判断が可能であるということは、要するに意味が重複する部分としない部分があるということでしょう。


実例を挙げてみます。


例えば、殺陣師とは言いますが、立回り師とは言いません。また殺陣田村はありますが、立回り田村はありません。ということは、殺陣が振り付けを意味する一方、立回りには振り付けの意味が希薄であるということになります。


では立回りとは何か?これも言語運用で考えてみますと、「立ち回る」とは言いますが、「殺陣る」とは言いません。そうなると立回りとは、実際的な行為そのもののことを指している、ということがわかります。逆に殺陣は実際行為そのものを指してはいないわけです。


ですから殺陣と立回りの差異をまとめてみると、殺陣=振り付けそれ自体、立回り=行為ということになります。つまり殺陣とは、動作段取りの記号的な情報状態を指していると考えられるのです。それに対して立回りは、実体的な動作そのもののことになります。ある振り付けを想定した時に、それが動作段取りという情報空間にある場合は「殺陣」、実際に人間が動くという物理空間にあるなら「立回り」という違いになるわけです。

または、ある一つのアクション・シーンに対して情報空間から捉えれば「殺陣」、物理空間から捉えれば「立回り」とも言えるでしょう。つまり両者は表裏一体のコインの裏表のようなものなのです。しかしどちらも、演技として格闘を表現することを指すという共通点はありますから、振り付けをする際は「殺陣をつける」とも「立回りをつける」とも言います。


以上が言語運用に見る、殺陣と立回りの、差異と共通点です。では、なぜ差異があるのか。それは逆に、なぜ共通点があるのにどちらか一つに集約されなかったのか、という疑問に行き着きます。その答えは、おそらく差異としてそれぞれ異なる意味性を持っていること、それ自体が重要だからではないでしょうか。つまりどちらか一方だけで存在しているわけではないということです。


もちろんこれは一つの視点の提示ですから、全てを言い表しているわけではありません。ただ、このような見方、考え方ができるということは、理解しておくべきでしょう、




閲覧数:2回0件のコメント

最新記事

すべて表示
bottom of page