俳優のためのアクション、その原点
「俳優のためのアクション、その原点」
さて、俳優のためのアクションとは何か?私も真剣に考えました。
そして過去において演技とアクションにきちんと言及していて、それが言説として残されているものがないか調べた結果、該当するものを発見することができました。
それがブルース・リーのインタビューだったのです。
ブルース・リーはハリウッドの俳優に、マーシャルアーツを教えていました。しかしこれは事実上アクションの(もしくはアクションのための)指導であったわけです。その理由は、インタビューで語られた本人のコメントからも明らかです。
ロスト・インタビューより引用します。
(引用元:http://www.theattractionforums.com/showthread.php?t=65203)
「these people are coming in and asking me to teach them, not so much how to defend themselves, or how to do somebody in, rather,
they want to learn to express themselves through some movement, be it anger, be it determination or whatever. So, in other words, what I'm saying therefore, is that they're paying me to show them, in combative form, the art of expressing the human body.」
意味としては、「彼らは護身術を教わりたいのではなく、むしろ動きを通じて自分自身を表現する方法を学びたがっている・・・」ということですね。それが最後のin combative form, the art of expressing the human body.ということになるわけですから、「格闘形態による身体表現のアート」というのは、アクションそのものを指しているのと同義であるというのが私の解釈です。
文脈上そう解釈するしかないわけで、それ以外何があるのでしょう。
引用の続きです。
Pierre: or would be a useful tool for an actor....
Bruce Lee:It might sound too philosophical, but it's unacting acting or acting unacting....if you know...
Pierre: You've lost me!
Bruce Lee:I have huh? So what I'm saying, actually, you see, it's a combination of both. I mean here is natural instinct and here is control. You are to combine the two in harmony. Not...if you have one to the extreme, you'll be very unscientific. If you have another to the extreme, you become, all of a sudden, a mechanical man...no longer a human being. So it is a successful combination of both, so therefore, it's not pure naturalness, or unnaturalness. The ideal is unnatural naturalness, or natural unnaturalness.
Pierre: Yin/yang, eh?
Bruce Lee: Right man, that's it.
これは前記した、「俳優にアクションを教えている・・・」というくだりの後に続くパートです。
「俳優に役立つツールですよね」という発言に対して、「哲学的に聞こえるかもしれないけど・・・」と断った上で、語るのがアクション演技論についてです。まずここが重要ですね。その前がアクションについて語っているわけですから、その続きは単なる演技論ではなくて、アクション演技論についての語りなのです。
unacting acting or acting unacting.というのは、日本語訳しにくですが、訳さない方がなんとなく意味がわかりますよね。演じない演技、演技で演じないこと・・・みたいなことですから、まあどっちだっていいわけですし、正確な訳もまあどうでもいいわけですが。この後のパートに続くように、単純に自然な演技というような言い方では、こぼれ落ちてしまうところがあるということを十分理解しているからこそ、このようなややこしい言い回しをしている、ということを汲み取って考える必要があります。
その理由は、先回りして解説してしまうと、アクション表現が振り付けによって規定されてしまうというところにある、ということをブルースは熟知しているからでしょう。だからこそ、その規定性から自由になるための方法論を説いているわけです。
それがcombination of bothということになります。
以下に続くのが natural instinct(生まれながらの本能)と controlのcombination of bothについてです。natural instinct(生まれながらの本能)に偏ってしまうと、unscientific.になると。ここでいうunscientific非科学的というのは、振り付けを無視していることを意味していますから、演技論としては立回り表現において、感情だけに頼ると振り付け無視状態になってしまうということでしょう。そして逆にcontrolコントロールに偏ってしまうと、 mechanical man機械人間のようになってしまう・・・というわけですから、ここでのコントロールは立回りの振り付けに依存して完全に再現すればいいというようになってしまうと、ロボットのような動きになってしまうということを表しています。
だからThe ideal is unnatural naturalness, or natural unnaturalness.不自然な自然さ、自然な不自然さがいいということになるわけですが、その真意は、不自然が振り付けを、自然が感情的な振る舞いを指しているわけですから、振り付けに依存しながら感情に従い振舞うこと、感情的に振る舞いながら振り付けに従うこと、というようなどちらに比重を置くかによって微妙に異なりながらも、正解が一つではなく、その配分が偏ってはいけないというアクション表現の核心を示していることになるわけです。
続いて引用です。
Pierre:
It's interesting, we don't in our world, and haven't since the days of the Greeks who did, combined philosophy and art with sport. But quite clearly the oriental attitude is that the three are facets of the same thing.
Bruce Lee:
Man, listen to me, ok? To me,
ultimately, martial art means honestly expressing yourself. Now it is very difficult to do. I mean it is easy for me to put on a show and be cocky and be flooded with a cocky feeling and then feel, then, like pretty cool and all that. Or I can make all kinds of phony things, you see what I mean? And be blinded by it. Or I can show you some really fancy movement, but, to express oneself honestly, not lying to oneself....and to express myself honestly, that, my friend is very hard to do. And you have to train. You have to keep your reflexes so that when you want it...it's there! When you want to move, you are moving and when you move you are determined to move. Not taking one inch, not anything less than that! If I want to punch, I'm going to do it man , and I'm going to do it! So that is the type of thing you gave to train yourself into it; to become one with it. You think...(snaps his fingers) ....it is.
話の流れは、インタビュアーのピエールが「あなたの生徒の中で、誰が一番ベストですか?」という質問をしたところから繋がっています。その直前に太極拳についての話がありますが、それは一旦終わっているのでつながりはないと考えたほうが自然でしょう。ただ太極拳の話から続いて上記の質問につながっている関係上「Who adapted best to this oriental form of exercise and defense?:このオリエンタルな運動と護身術に最も適したのは誰ですか?」という質問の仕方になっていますが、これをマーシャルアーツについての質問と誤解してはいけません。あくまでも文脈上は俳優の誰が一番向いているのか?ということですから、あくまでもアクションについての話なのです。ただしアクションという語、認識のない時代ですから、混同した言い回しになっているだけです。その問いに対して、実際に戦うならスティーブ・マックイーン、哲学的な思想への理解ならジェイムス・コバーンだと言っています。
そして上記英文の質問になります。ここでも欧米人のピエールが中国武術的なものとアクションを混同したまま、西洋文化と東洋文化の違いという観点から「西洋では、哲学とアートをスポーツと組み合わせたことはなかった」という言い方をしています。あえて「スポーツ」と言っているところに、リアルファイトではなく、身体性への言及またはアクション的なものへの示唆が感じられるでしょう。
ここからがブルースお得意の語りになります。まず「究極的には、マーシャルアートは正直に自分自身を表現することを意味する」となります。マーシャルアートとは、ブルースがこのように発言しているので、マーシャルアーツの間違いではありません。あえてアーツ(Sがつく)ではなくアートと発音しているところに、意味を見出す必要はあるでしょう。つまり単なる武術とあえて差別化しているわけですから、やはりアクションを指していると考えるほうが自然です。マーシャルアートをアクションという語に置き換えれば、「究極的には、アクションは正直に自分自身を表現することを意味する」となりますから、武術と訳してしまうと意味がチンプンカンプンになってしまうところが、すっきりとします。というのもブルースが言わずとも、これはアクションの極意であり、またブルースが映画の中で体現していたことだからです。しかも、「それがとても難しい」と言っているわけですね。
その続きは割愛しますが、このくだりを武術についての話だとすると、さらに意味の通らないものになってしまいます。武術系の人は、このくだりを伝統的な中国武術への批判と捉えているようですが、それでも全く意味不明です。内容としては、要するにおちゃらけた動きやカッコつけた動きなら、俺だった簡単にできるさ!というようなことですね。しかし、自分自身を正直に表現することはとても難しい、と言っているわけです。そして、動きたいと思った時に動けなくてはならない、そのためにハードにトレーニングしなくてはいけない・・・というようなことでしょう。話し言葉なので、意味的にはかなり重複しているわけですが、それだけに強調したいところが浮き彫りになっています。
やはりポイントは、When you want to move, you are moving and when you move you are determined to move.というところでしょう。「動きたいと思った時に動き、動くとき、あなたは動くと固く決心している。」みたいな意味ですか。要するに思考と動作が寸分の違いもなく一致している状態の重要性を説いているわけです。これを自分自身を表現することと関連付けて解釈する必要があります。そうなると、自分自身を表現するためには、思考と動作が一致しなくてはならないということになりますから、感情の変化・爆発と動作の間に時間差があっては、自分自身を表現することにはならない、という逆説的な解釈が成立します。つまり感情の変化を動作で表現するためには、その変化に動作が即時対応しなくてはならないわけで、そのためにトレーニングしなくてはならない、それがとても難しいということでしょう。
冒頭の生徒について語っている、
they want to learn to express themselves through some movement, be it anger, be it determination or whatever.
というくだりが対応しているわけです。動きを通じて自分自身を表現することを学びたがっている。怒りとか決断とか・・・ということですから、そのためには何が必要かということに言及したパートと考えればいいでしょう。
多少アクション寄りの解釈と思われるかもしれませんが、これは黒澤明監督の三船敏郎への評価にきわめて近似しているのです。黒澤は三船を称して、反応の速さを絶賛していました。そしてそれは、用心棒における太刀捌きの速さでも同様でした。このことからアクション・パフォーマンスの速さと俳優としての反応の速さを三船の特徴として黒澤が評価していたことがわかります。この二点が比例しているということが、三船のようなアクション対応型俳優の特徴であることを考えると、ブルースの発言に対してもそのことを念頭に置いて解釈する必要があるわけです。そうなると単なる武術としての技の速さ、反射神経的速さについて語っているわけではないことが理解できることでしょう。
ではまとめておくと、「究極的には、アクションは正直に自分自身を表現することを意味する」しかし「それがとても難しい」。「おちゃらけた動きやカッコつけた動きなら、俺だって簡単にできるさ!」「しかし、自分自身を正直に表現することはとても難しい」「動きたいと思った時に動けなくてはならない、そのためにはハードにトレーニングしなくてはいけない」
怒りとか決断とか・・・そういった感情の変化など、動きを通して自分自身を表現するには、その感情の変化に動作が即時対応しなくてはならない、だからそのためにはハードにトレーニングしなくてはならない、それがとても難しい。
ということでしょう。
長くなりましたが、これがブルース・リーのアクションに対する教えであり、その対象は俳優なのです。