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アクション・パーソンの分類

私は、アクションに携わる人のことを「アクション・パーソン」と総称しています。

今回は、アクションに携わる人=アクション・パーソンが、さらに三つの種族に分類されるということをお伝えします。それが、アクショニスト、アクショニアン、アクショノイドです。一つずつ説明していきましょう。


まずは「アクショニスト」です。

アクションにISTを付けてた形ですが、これはARTにISTを付けてARTIST:アーティストと呼ぶのと同じですね。だから意味としては、アクション芸術家というようなニュアンスになります。つまりアートとして、アクションに取り組む人、アートとしてアクションを追求する人、というような意識を持ったアクション活動家のことを指しているわけです。REAMで育成しているのは、このアクショニストなのです。


次は、「アクショニアン」です。

こちらは、アクションに「・・・に属する人、専門家」という意味の接尾語、IANを付けたもので、職人を意味するアーティザン:ARTISANに似ているところから、アーティストとの対比と同様に、アクション職人としました。こちらがいわゆる、アクション業界でお仕事をされている方々全般を指します。


アクショニアンとアクショニストの違いは、前者が基本的に職業人であることを前提として、職業人と同様の活動をする人、目指す人などまで射程に入れたものであるのに対し、後者のアクショニストは、職業人レベルを超えた自律的表現者という領域での活動をする人、それを目指す人というように分けることができるでしょう。そのためには、書籍「アクション進化論」で示したところのアクティブ・アビリティの獲得が必須となります。従ってそれを目指す人とは、アクティブ・アビリティの習得に身を投じている人ということになるでしょう。俳優がアクションをに取り組む場合は、アクショニストへの道として進むことをお勧めします。



続いて「アクショノイド」です。こちらの接尾語のOIDとは、「・・・のようなもの、・・・もどき」という意味があります。例えば、ヒューマノイドといえば、ヒトそっくりの、人間もどきの、という意味で、SFでは人型ロボットとして使われています。ですからアクションにおいては、アクションもどき、アクションのようなものという意味になります。私のアクション定義からすると、現在のアクション映画のほとんどは、このアクショノイドによって作られているということになるのですが、正確には「ハイブリッド・バーチャル・アクショノイド」と言います。


では、二つの違いについて説明しておきましょう。

単なるアクショノイドとは、これまで私が使っていた、なんちゃってアクションに対する広義の名称ですね。これは見よう見まねで行っているアマチュア・レベルから、武術・武道・格闘技から参入してきた人、またアクションの本質を掴まずに、リアルなマーシャルアーツに依存してそれを優位に立てている業界人、などの総称になるわけです。まあ、面倒くさいから、素人だろうが格闘技のチャンピオンだろうが、アクションを理解していない人、マスターしていない人は、全てアクショノイドとして一括りにしてしまっていい、という概念ですね。要するに部外者ですから、相手にする必要はないのです。


それに対して、「ハイブリッド・バーチャル・アクショノイド」は、アクション表現に直接関わってくる概念です。こちらは、現在のアクション映画製作現場を観察したところから、本物のアクションとの比較によって発見されました。現在のアクション映画の主人公がどのように作られているのか、分解してみることにしましょう。


まずアクション表現の基本構造ですが、チャンバラ映画時代は、チャンバラ・スターを中心に、殺陣師とカラミで構成されていました。

これがアクションに転移してからは、アクション・スターを中心に殺陣師、スタントマン、カラミという三者が関わることで構成されていたのです。

では現在はどうなっているのでしょう。現在は普通の俳優さんが、主人公を演じています。でも実体は、それだけではありません。スタントマンが吹き替えをしているシーンがふんだんにあります。それからCGを含む、様々なトリック撮影、ポストプロダクションにおけるデジタル処理などで、現実にはあり得ない動きを作り出すことが可能となっています。これらをまとめて、デジタル・トリックとしておきましょう。そうすると、現代の主人公は、<普通の俳優+スタントマンの吹き替え>によって動きを作り出し、それをデジタル・トリックで加工することで、あり得ない主人公像を作り出していることになります。つまり、チャンバラも、アクションも、本来は主演俳優のパフォーマンスが全てであったのに対し、一つに特定できない分業化され加工された人造的な虚構としてのパフォーマンスということになるわけですね。だからこれを称して、「ハイブリッド・バーチャル・アクショノイド」と呼んでいるわけです。つまり単なる「なんちゃってアクション」ではない、現代ならではの仮想空間だけの存在なのです。


だからこそ、単にアクション作品に主演したからといって、それをアクション・スターと呼ばないのは、アクションが不在であるというだけでなく、バーチャルな存在であるということを観客の皆さんが理解しているからなのでしょう。そしてそれをわざわざ言葉にするまでもないから、単に主演俳優をアクション・スターと呼ばないだけなのです。だから観客は直感的にわかっているわけですが、逆にアクション業界人の方が、その分業体制に飲み込まれて、仕事をもらっているという構造になっているため、そういった関係性が見えなくなっているのです。なおかつ自分の現在の仕事をしているというポジションを正当化し、死守したいがために、なおさらこのような本質的構造を見ないようにしてきている、というのが現状なのです。だから、いくらアクション作品が作られようと、誰がアクション監督をやろうと、主演をやろうと現状が変わることはあり得ないということになります。


では、どうすればいいか?私の答えは、アクショニストが増えて、その彼らの活動が活発になること以外ありません。アクショニアンの方々は、残念ながらその意識構造を変えることが難しいので、私は彼らに働きかける気はないので。もちろん来る者は拒まずの姿勢は持っていますが。

ということでREAMでは、アクショニストの育成に努めています。これは俳優活動とぶつかるものではありません。むしろ両立することで、俳優活動も豊かになるものなのです。



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